師匠の日記を見て、本の題名が書かれてあったので即座わたくしは検索にかけたらあらへん、ほんま、またか、ゆうて日記を読み直したら、その次の御言葉「そんな本あるかあ、あほ。」て書いてあったのを読んで文机をバンと叩いて、むかつくわっってゆうてしまった、師匠に向かってむかつく、とは何事や、酒野見すぎャでほんま、さみしいわほんま、宿酔明けてまた宿酔なるんちゃうやろなほんま、ほんまゆうけど、僕にはやっぱり友達はいないのだろうかな。悲しいなあと思うけどこれぞ真実也ね。白菜カレー美味い、とかゆうててもしゃあないちゅねん、なあ、なあて誰にゆうてんねん、師匠にむかつくわゆいたい日もそりゃある、パクってばっかおっても空しいよって言いたくもなるな正味、自分よ、馬鹿。けど僕は嬉しい、やっぱし、だってパク利他苦なるものは初めてだったから、人生中ほんに初めてのことでひたからな、多分ね、あれあったかな、ま、いっか、だから師匠を愛し続けることをこれ誰に止められることが出来ましょうかな、僕は死ぬまで「天の白滝」を抱いているし、また「告白」を抱きしめて死ぬつもりであるからね。だから師匠はそれほど自分にとって大切な存在であることを誕生日にまた言いたかったが、まあできなかった。人間の心というもんはそう簡単でないからね、一番何か伝えたいと思う人に一番伝えられないことがあるんだね。何もかも良く考えてみると残酷なもので埋め尽くされていると思うよ、この世はね。だけども苦しい苦しいとゆうてても何もできないから、苦しいことを種にして芽を吹かしたいと思うのが人間のこれ人情であるんだえ。私はそういう心が泣ける。まず目に見えて恵まれている人は本当の意味でまったく恵まれていないことにも気づくだろう。そんな人たちにも感動を持ってもらわれなくては意味がないってことであって、自分と分かり合えそうな人たちとだけ分かり合えていたらそれでいいと思っていたら大間違いなんだ。まあ偉そうに言えるもんじゃない、自分に対していつも言ってるんだ。まず人に対して非難を浴びせる以上にいつも耐え難い非難を己に対して浴びせている。こんなのらくら者の自分に対して世界で一番の非難を浴びせる己の力を私は、実は、信じている。自分にしかやれんものが自分には書けるのではないか、それがなくなれば、もう書いてはゆけない。あとは死ぬのみか。