せっかくなので、カナリヤについて調べていたんだ。
これはサウジアラビアの童謡カナリヤ
微笑ましい曲である。これを聴いてサウジアラビアの童たちは歌ったり、眠りに就いたりするのだろうか。
偶然にも、ふと思いついて書いたカナリヤとサウジアラビアという言葉がここで結びついたのである。
次に私はサウジアラビアについて調べた。
サウジアラビア王国はイスラエル、イラク、イラン、エジプト、アフガニスタン、パキスタンなどに囲まれた場所にある、中東、西アジアの国家である。首都リヤドは素晴らしい。

ものすごく考えられて作られている街である。こんな街のある国は平和を掲げているのではないだろうか。
計算しつくされた街、掟がそれだけ厳しい国ということである。掟が厳しいと良いもので埋まるだろうか。
サウジアラビアはイスラム教統一国で彼らは、神に帰依する者たち(イスラム教徒)である。
サウジアラビアは現在でも公開の斬首刑を行っている唯一の国家である。
現在においてもっとも厳しい死刑制度を維持している国であり、人口当たりの死刑執行数は世界最多である。
2005年5月、スリランカ人のリザナ・ナシカというメイド(事件当時17歳)が赤ん坊にミルクを与えた際に気管に詰まり、メイドは救命措置を取ったが死亡させてしまう。この事件は事故死ではなく殺人であったとみなされ、死刑判決が下りることとなった。2008年6月に公開での斬首刑によりリザナ・ナシカは処刑された。
これはその時の、刑に処される寸前の写真である。是非多くの方々に見てもらいたい、そして彼女になってもらいたい、あなたに、あなた方に。どんな思いで、どんな恐怖と悲しみの中、彼女が処刑場に座らされていたか。私たちは彼女である。私たちはこのようにして殺されうる存在であることを私たちは忘れて生きていくことは、その生はないものと見てもいいだろう。彼女は私たちであり、私たちはその権力に刃向かう事が出来ない。
http://ansaikuropedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Executioner2.jpg
彼らは大罪を犯し続けていると私は言った。
しかしそんな言葉もなんて浅はかであろうか。今日、私はこんな言葉を目にして、胸にずしんと来た。
「皆、悪ではない。悪でなければ生きられないということだから、それを悪と言えないのだろうね。」
この言葉はとても重く深い。
悪でなければ、生きられない人たちがいる。ならばその悪を私たちがこの世から無くそうしたとき、彼らを殺すということである。彼らの生きられる場所がなくなってしまうからだ。
私たちは、彼女を守るために彼らを殺すことができるのだろうか。
「犠牲」という言葉がずっと頭の隅にあって、離れない。犠牲、それはどういうことなのか、考えても考えても混沌化する。
今日、斬首刑について調べる中に偶然見つけた一枚。あまりに無垢な表情の少女の写真である。この少女と白い衣装を纏って座って死を待つ彼女とがだぶって見えた。私たちは祈らなければならない、私たちは死ぬ寸前まで祈り続ける。
