
ソフィア・コッポラ監督の映画「マリー・アントワネット」を観た。
わずか14歳にしてオーストリアとフランス二国同盟を結ぶ為の責任を背負い、フランス王国の王大使妃となり、そして18歳で王妃となり、37歳でフランス革命の中にギロチンの刑に散ったマリー・アントワネットの生涯、それはどんなものだったのだろうか。
私はほとんどおぼえていない頃にベルサイユのばらをテレビで見ていて、後に漫画で読了した、そして私は悲劇の王妃マリー・アントワネットを知った。
どんなに無知で貧しい民の苦労を知らなくとも王は王であり、それは日本では天皇の存在、神に近いと思える存在であり、その王と王妃が無残なギロチンの刑に処せられた。
処刑の前日、アントワネットはルイ16世の妹エリザベート王女宛ての遺書を書き残している。
内容は「犯罪者にとって死刑は恥ずべきものだが、無実の罪で断頭台に送られるなら恥ずべきものではない」というものであった。
これはまるでイエス・キリストの処刑に繋がるところがあるように思えないだろうか。
実際、私達は貧しい民の方であり、王国に住む人たちの苦労は想像には及ばない、反対に王族も民の苦労は知りえない。
すべてが無知から起こった悲劇であった。
私は最近偶然に、マリー・アントワネットの次男であるルイ・シャルル、後に国王ルイ16世が処刑された後に8歳でフランス国王ルイ717世となり、2年余り監獄に入れられ10歳で天に召された彼の凄絶な生涯を知った。
息子・ルイ17世(ルイ・シャルル)
言葉にすらできない、想像にも及ばない、彼の生涯を知って、この世の救いを信じる以外できなかった。
ここにおいて、いったい誰が悪かったのか、それを問うことが無意味だ。
運命とは、そういう中に起こる。
それは、どんな、どんな人生だったのだろうか?
人は、知りたいと、そう思うだろう。
どんな人生だったのか。
それを知りたいと思う気持、それが私たちにはある。
だから人は映画を観たり、小説を読んだり、人に寄り添いたいと思うのよ。
そうでしょう、主よ。
そして、それは、私たちにとってとても素晴らしい・・・・・!ことなの。
- 関連記事
-
-
カッコーの巣の上で 2015/04/15
-
映画「ピアニスト」 2015/03/29
-
アンチクライスト 2015/03/01
-
大河の一滴 2013/04/22
-
Boys Don't Cry 2012/04/15
-
The Virgin Suicides 2012/04/14
-
野ばら 2012/04/12
-
Marie Antoinette 2012/04/10
-
Passion 2012/04/09
-
ノルウェイの森 2012/04/08
-
シド・アンド・ナンシー 2011/08/12
-