
1957年のドイツ映画「野ばら」を観た。
1956年のハンガリー動乱で孤児となりオーストリアへ難民としてやってきた少年トーニ(ミハエル・アンデ)と愛犬のフロッキ。
トーニは収容所行きのバスに乗り遅れてしまった。
そこに、昔ドナウ川汽船の船長だったブリュメル老人(ヨゼフ・エッガー)に声をかけられ、ブリュメル老人はトーニを養子にすることを決める。
ある日曜日、教会のミサでウィーン少年合唱団の歌うミサ曲の調べを聞いたトーニは、合唱団入りを夢見るようになった。トーニに音楽の天分があることを知ったブリュメル老人は、トーニの幸福のためにも、彼をウィーン少年合唱団に入れる決心を固め、ウィーン合唱団の全寮制学校に入れてもらうために一緒に向いブリュメル老人は頼み込むのだが・・・・。
1960年代に日本でもウィーン少年合唱団ブームが起き、当時の全国の少女たちは少年たちの天使の歌声に酔いしれ、
この映画「野ばら」は、日本で初めて公開された世界一古い少年合唱団を扱った作品でおそらく合唱団ブームの火付け役になったであろう映画であるらしい。ウィンー少年合唱団の歌う「野ばら」はこの映画で国民の間に、広く定着した。
心優しい校長先生から「この坊やの声を聞かせてください」と言われ、緊張の中みんなと一緒に「野ばら」を歌うトーニの心温まってならない名シーンである。
こういう映画も本当に感動する。
少年トーニの想いや、またブリュメル老人の気持が伝わってきては心はものすごく揺さぶられ号泣しながら観た。
実は私はボーイソプラノが本当に好きである。
天使でしょう、彼らの声は、まさに、歌ってる時。
しかし歌い終わるとふっつーうのそこらへんのはしゃぎ倒すガキとなるところがなんとも微笑ましいではないか。
モーツァルトをジャズに替え曲してみんなで歌ったりしちゃったりなんかして、遊びがしゃれてるなぁおいと思ったが。
そう何を隠そう私はそうです、実はショタコンです。
生粋のショタコンです。ってゆうのもまあ昔の少女時代の話っすがね。
中学生の時から愛読していた長野まゆみの本「野ばら」ってあったんだね、だからこれ借りてみたのだが。
特に長野まゆみワールドの中期にある少年同性愛、退廃的、エログロ的なものは、実はありません。
兎に角、純粋です。兎にも角にも純粋でならんのです、ならんばいなのです。
そしてそこに私はいたく感動したんです、心から。
古い名作は理屈ぬきで感動できるのである。
天使の歌声に耳を傾けなさい、人生に疲れ切ったそこのあなた、そうです、あなたです、あなたこれご覧なさいよ、いいから、いいから。
そしてこの題にもなっている「野ばら」というのはウェルナー作曲でゲーテ作詞の曲であるのだが、この詩は実は思ったよりも深いのであった。
『Heidenröslein』
歌詞(ドイツ語)・日本語訳(意訳)
Sah ein Knab' ein Röslein stehn,
Röslein auf der Heiden,
war so jung und morgenschön,
lief er schnell, es nah zu sehn,
sah's mit vielen Freuden.
Röslein, Röslein, Röslein rot,
Röslein auf der Heiden.
少年が見つけた小さな野ばら
とても若々しく美しい
すぐに駆け寄り間近で見れば
喜びに満ち溢れる
ばらよ 赤いばらよ 野中のばら
Knabe sprach: "Ich breche dich,
Röslein auf der Heiden!"
Röslein sprach: "Ich steche dich,
dass du ewig denkst an mich,
und ich will's nicht leiden."
Röslein, Röslein, Röslein rot,
Röslein auf der Heiden.
少年は言った 「君を折るよ」
野ばらは言った 「ならば貴方を刺します
いつも私を思い出してくれるように
私は苦しんだりはしません」
ばらよ 赤いばらよ 野中のばら
Und der wilde Knabe brach
's Röslein auf der Heiden;
Röslein wehrte sich und stach,
half ihm doch kein Weh und Ach,
musst' es eben leiden.
Röslein, Röslein, Röslein rot,
Röslein auf der Heiden.
少年は野ばらを折った
野ばらは抵抗して彼を刺した
傷みや嘆きも彼には効かず
野ばらはただ耐えるばかり
ばらよ 赤いばらよ 野中のばら
そう、この野ばらとは、ゲーテが若い時分に恋をした娘フリーデリーケのことを歌った詩なのである。
ドイツに生まれた恋の詩人『ゲーテ』
彼は1770年春、21歳の時にストラスブールでの留学生活をはじめた。
この以前にライプチヒ大学に入学してたが、不摂生で病に倒れ、法学士の学位は取れなかったのである。
彼は老後、回想録「詩と真実」のなかで、このストラスブール時代の回想にかなりのページを割いている。
「細かな記憶は残っていないが、苦しい日々であった。別れにあたって馬上から手を差し伸べた時、彼女の目には涙が浮かんでいた。私は胸が痛んだ。」
恋の詩人ゲーテの才能を開花させたのが彼女だとされている。
ゲーテは留学していたストラスブールから、彼女がいるゼーゼンハイムまで馬車で6時間もの時間をかけて通った。
しかし、念願の法学士の学位を取り、フリーデリーケの親も結婚を期待していたようなのだが、ゲーテはあっさりとフリーデリーケと別れて故郷に帰った。
ゲーテがフリーデリーケと別れた理由は、彼女が牧師の娘で少し田舎臭かった事もあるが、束縛を嫌ったようだ。
婚約はしていたらしいのだが。
彼が彼女との恋愛の最中に書いた作品としては「5月の歌」「歓迎と別離」「フリーデリーケに」「野ばら」などがあげられる。ゼーゼンハイムにあるゲーテ記念館の横道は「フリーデリーケ・ブリオン通り」と呼ばれているそうだ。
彼女は別れた後もゲーテの事が忘れられなかったのか、リボン作りの仕事で生計を立てながら結婚もせず、1813年8月3日に61歳の生涯を終えた。
ゲーテがフランクフルトへ帰る時、フリーデリーケはゲーテとの永遠の別れになるとは知らずに「さよなら」と挨拶、いつまでも見送っていた。その彼女の姿がゲーテの心に、いつまでも消えないで罪の意識として残されたという。
身分の違いで別れたと言われているそうだが、真相はわからないものである。
何故なら、恋ってェのは簡単じゃァねェ、恋ってェのはなァ難しいんだよ、うまく行くほうがおかしいんだよ。
もし、あれだよ、ゲーテとフリーデリーケが一緒になっていたらば、ゲーテがちょうどおっさんになった頃、フリーデリーケは「てめえいい加減ウゼェんだよ」つって二人は別れ、両人いやぁな思いを抱きつつ死んで行ったかもしれないじゃあないか。
だから何が悲運で何が幸運なんてェのは、わからないでやんす、人生。
ね、この映画には「ほがらかに鐘は鳴る」という続編があるらしいわよ?わぁい観ましょうよぅ。
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