神は死す

1981年8月、分娩台の上の母の胎内から出てきた俺。
1985年5月、ダイニングで棺桶に入った母の姿を眺めている俺。
2004年1月、父の葬式の帰りに空を見上げた俺。
2012年7月、何にもすることがなくて何か書いてみたけど苦しいだけの俺。
ところで俺の神は死んだ。
と思う。
だって何にもすることがないんだもん。
だって何もしたいと思えないんだもん。
このまま死んでゆくならば。
俺の一生はなんやったんやと思えなくもないかな。
まあ人生こんな時期も一年二年あってもええんちゃうって、偉い作家に言って欲しいんだろ、どうせ。
おまえなんかどうせ何も出来ない人間だ、わかったか、ちゃんちゃら可笑しいぜ、お前に何が出来るのか、言ってみろ、おまえに出来ることってなんだ、何が出来るんだ、そんなんで、そんなんでなんか出来るわけないやん、ないやん?おまえなんかドブにはまれ、はまればいい汚いドブに、最悪なことになればいい、おまえなんかおまえなんかおまえなん顔前なんか?顔前についてんのかおまえなんか、どぶにつけろそんな顔、今よりはマシになるだろう、おまえなんか無意味に生きて無意味に死ね、この世で一番無意味に生きて死ね、わかったな、わかったらいいだろう、顔をあげなさい。はい、神よ。上げました。顔を洗って、それでも生きろ、わかったね。はい、神よ、わかりました、こんなんやけど、俺生きようと思う。生きていこうと思うよ、神よ。それでいいんだよ。それでいいのかー。いいんだよー。
脳内に蝉が繁殖する夏、俺はどうしたら精神病になれるのだろうかと考えていた。
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