空っぽなる幻影へ  

空っぽななんとか、などとよく言われるが

はて空っぽとは一体どうゆうことなんだろか

空っぽとはアミダのことか?

そこには何もない、が在るのか

無が在っては空っぽにはならないそれは虚空とは違うのか

アミダ、無、空っぽ、虚空、それらについて考えれば考えるほど遠ざかってゆくようだ

私は考えると、おや、眠りの中で見る夢だ
これは少し近いんじゃないかと思いだした

あの夢の世界は一体なんだ、こちらの世界とだいたい似通ってはいるが、あの世界はどこにもないもののはずだ

どこにもない世界を脳内が見る、とはどうゆうことなのか

幻、幻覚、形がないどころか実際には存在しないもの

それをひたすらぽかーんと浮かべていると

これが空っぽで虚空で無でアミダなのかも知れない、と少し嬉しいような気持ちになりかける

世界の謎が少し解けかけたような

だから形もあれば実在する私達がそこには近付くことすらできないのか、とゆうと

そんなことはなく、眠るたんびに生き物全てが空っぽと無と虚空とアミダそんな理解しがたい何かに自分がなっているのだと思った

それは一体なんなのだ、と聞かれると私は知らん
ないとゆう根本さえないのだから全くやはりさっぱりだ

ただ、これだけはしかと感ずる、それは恐れるようなものでは決してないだろうと言う有無を言わせぬ信が私のどこかに根深く居着いているのだ

それはまるで物心つく前から私の中に根付いているかのような絶対取ることのできないものであり、とても深い心地よさを不意に連れて来てくれる
のだった


その心地良さは例え私が死んでも永遠に続き、幻影を見せてくれるのだとしっかりと安心してしまっているのだから、なんとも不思議なものだ

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