Animals

もうなんも言葉を追う気力もなくて、誰の言葉も面白くない、だけど、パンの話には目が行ってしまう。意味がわからない。パンの何がそんなに興味があるのか自分ではさっぱりわからんのだよ。別に前世はパン屋で働いてたとか、そうゆうあれでもないと思うねんけど。人はちょっとしたことがきっかけで厭世的になる。そんな僕でも、パンには目が行ってしまう。僕が僕がわからない。いっそ僕を他人にしてみたらどうだろう。そして僕は誰かというと誰なんだよ。他人だ、だから僕はもうこれからこう言うんだ。「あなたはなんだかしんどいなぁ」「あなたは今日も遅くに起きてしまったなぁ」「あなたは何やっても駄目だなぁ」「あなたはもう何にも楽しくない、でもパンには目が行くんだよね、なんでか」「あなたはあなたが嫌いだなぁ」「あなたはどうすればいいのかなぁ」「あなたはほんまは腹立ってんねん、ほんまは言いたいこと言いたいねん」なんかムカつくなぁ、だって他人に僕の何がわかるんだよ、ってああそうか、僕が他人だったんだ。そう他人の僕が他人をどう傷つけても気にすることないよな。つまり自分を他人にすることで一切の責任から離れることができる。なんでもできる、そうなにを言ったっていいんだよ、言いたいことを言えよ、おい他人。でも言いたいことないんだよね、だって他人になった瞬間もう無関心になってしまったんだ、だってその他人は自分のことしか関心がなかったんだからね。そして他人を目で追うだけの暮らしが始まった。それを追う意識はどんなものかというと人間以外の生物のようだった。自我のない意識で他人を目で追っている。他人の中に住んだ動物的なまなざし。ゆうたらなんかそんな意識に何時も見られてるような気がするんです。こう覗かれてる、僕ではない何かに。常に。僕を導くんだ。でも僕は動物的になりたくない、せっかく自我も生まれたんだ、自意識がこんなに鮮明で。僕は動物的にはなりたくないんだ、じゃあどうなりたいかって言われたら、どうなりたい、ってこの先どういう変化を期待する、何を目指すの、君は何がしたいの、なんか、君はそれだけで動物的だな、なぜそれを嫌うんだ、なぜ見下げる、君は僕たちと何がどう違う、欲望に埋もれた人間たちよ。
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