大河の一滴

邦画「大河の一滴」を観た。
なんでこれが酷評なのかさっぱり私にはわからない。
なんか自分の評価と世間の評価がまるで違うと苦しいものだな。
なんだこれはと思ったものがとても評価がよくても絶望してしまうこともあったし。
まず何を訴えたいのかわからないというコメントが多かったが、その人たちはちゃんと観てないのではないかと思う。
三國連太郎が演じた父親の言葉はとても深い言葉だった。

「雪子、泣いたらいかん、自分の信念で生きるんや」

余命わずかの父親が泣きそうになった娘の雪子にそう語るシーン。

確かにこの言葉がわからない人は多いのかもしれない。
この言葉以上の生き方がないというところに立たされた人には、これ以上はないという深く重い言葉で、死ぬまで響き続ける言葉だと私は思う。

それから雪子のわがまま度はよく私と似ていた。でも私が思うに雪子は決してただの鈍感な馬鹿な女ではないように思う。昌治のつらさもわかった上であえてあれを頼んだのだと思う。
二股愛というのは、嫌な言い方だが、それは二つとも恋愛を超えたところにある感情だったからこそ、そこに成立した愛情だったのではないかと私は思うのです。
だから雪子はあれを昌治に頼めたし、また昌治の家にニコライを泊めた。

わがままにしかなれない人の苦しみがわかる人ならこの映画の良さがわかるんじゃないかと思う。
人間は弱い、誰もが、相手をどんなに傷つけてもそうすることしかできなかった人間の弱さとか愚かさとか、それがヒューマンでドラマだ、その一滴がどんな人生であろうとそれが現実的であるなら共鳴できるのが人間ではないだろうか。
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