道標

未知汁兵衛という男が道標を探しておった。生まれてすぐ探したがなかなか見つからなく疲労困憊ざっと三十年と少々、昨日炊いた雑炊を歩きながら食い探していた。俺の酒を奪う奴がいたら殺してでも奪い返すと心に決め込んで。何処まで行っても闇が広がっている場所、真新しい木綿豆腐を頭の上に載せてふらふら歩いていた。するとそこに突如現れたる道標なり。はてなんて書いてんの、汁兵衛は近づいて食い入った。右と左に分かれたその二つの道標、右には〈何かよくわからない場所〉左には〈死神〉とだけ書いてある。汁兵衛はどっちに行くべきであるか迷った。思い返せば俺はずっと良くわからないということに苦しんできたはずだ。はっきりとしてくれるなら何も思い悩むこともない、俺は〈死神〉を選ぼう。汁兵衛は左に行くことに決めた。歩いていくと小さなカリフォルニアブッダが座っておった。汁兵衛は気にすることなく歩いた。等身大の小池が影となって着いて来た。汁兵衛は気にすることなく歩いた。気がつけば足の裏は雲丹だらけであった。いったい死神とはなにか、俺の内臓にまで到達するものなのか、金縛りにあう為にコーカサス諸島を運べるのか、厳選された森羅万象で俺のモン族は踊り狂うのか、牢獄の素麺という暖簾をよけて入ってこれるのか、その店の主は割烹着を着た死神か。俺は〈死神屋〉という店を見つけて牢獄の素麺みたいな暖簾を手でよけて中に入った。誰もおらん。俺は真っ白な割烹着を着てカウンターの奥に立った。そして客が店に入ってきた。「こんなところに店があるなんてね、俺は思っちゃいなかったよ」男はカウンターの席に座るとそう言ってポン酒と言った。俺はポン酢と日本酒を割って男に出した。男はそれをコップごと後ろに放り投げると立ち上がって腕を組み言った。「さあ、では始めましょう」俺は割烹着をバサッと取り払うと言った。「俺をどんなところに連れてってくれるの」男は俺の脳髄を真正面から見て言った。「悪いが俺はおまえをここからどこかへ連れて行くことではない、今から始めることをするから、何かあるなら言え」「俺はない、ないからここにきただけのことだからないことをあることに言うことはできない」「それなら意気込んでさあ始める、足りないものを数えろ、その数だけお前を救ってやろう」「数え切れないほどある、それにそれによって俺が救われるのは恐ろしい」「俺は死神だから決して甘い神ではない、嫌ならば戻れ、そして逆の方向へ向え」「俺はあんたに聞きたいんだ、あんたは本当にすべてを経験したのか」「俺はすべてを経験する途中にあるよ、こうやってしゃべってる間にも地獄の沙汰が止まない、これに終わりがない限り経験に終わりがない」「俺は甘かった、しかし信じられない、すべてを経験できる存在がいるなんて」「お前が俺を創り出したからには仕方がない、俺はすべてを経験する、これだけが真の救いであり、そして地獄なのか」「俺はあの道標まで戻ることができるのだろうか」「できないことはない凡てが可能だ、しかし俺はもういったん生まれたから消えることができない、俺を忘れることがおまえはないだろう、俺はお前を見ている、おまえはいつも俺に見られていることだろう」汁兵衛は悲しみの涙をぽたぽた落としながら道標の場所まで引き返した。
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