band-aid小芋

麺棒が見当たらなくて麺棒が見つかると嬉しいものだなあ。って綿棒だよ、馬鹿。うちの変換君に物も押す、こら、物申す、だばか、って俺か間違ったん。はぁ、里芋の芽はどれぐらい伸びたかなあ、料理するんしんどい、電気を消して布団に横になり音楽ばかり聴いていた、じっくり聴くと全部良い曲だとわかると嬉しいね。僕の頭が獣だらけ。変態的なものが僕は本当に好きで、だからといって変態すぎるとダメなんだよ、なんでも良い変態と悪い変態はある。例えば僕は実にバンドエイドを張る瞬間が好きで嬉しくって、これは別に変態的とは言わないと思うが、これをだな、こうゆうとどうか、僕は思った、これは人生と同じだ、つまり、傷を何かでふさぐ瞬間嬉しい、ってことは?ってことは?それは傷がないと味わえない喜びってことでっしゃろ、それが人生とおんなしですよね、って僕は思った、で、これも特に変態的とは言えないと思うが、観る人によりけり変態と思われないこともないかもしれないということを考えないこともないかもしれないが、どうでもええねんそんなこと別にな。言いたいことは別に何もないねん。ただ音楽ってほんま好きやわってことを誰にも伝えたくなかった。絶対別にそんなこと伝えたくない。ただこの音楽って素晴らしいよね、なんて絶対僕は誰にも伝えたくない、だってそんなん絶対通じない人が89,0675%はしめてるからな。だから残りの何%か計算すんのめんどくさいからしないけどもその残りの数%の人に向けて音楽を紹介しようなんてぜったう僕は思ってないし、ぜったう思わないからぜったう思わんといてほしいなんて別に思ってないから。気にしないでほしいよねまったくだよ。好きだから好き、それでええやんかいさ。そんなことでは語れない世界だよ、語ろうとすることが間違ってるみたいやし、とにかく僕は料理を作るのがしんどくて、こうしてブログを椅子に反り返った状態で書いている打ち込んでいる、そう僕は今これに打ち込んでるんだ、打ち込みって素敵ですよね、生楽器もいいけどさ、打ち込みだっていいんですよ別に、別にとかじゃなく、打ち込みには打ち込みの値打ちと素敵さがあるのにって思うけどな、だから何がいいたいかと言うと、やっぱり、みんなちがってみんないい、ってことだから、気にするこたァない、あるのはそう、僕はこれ好きあれ好き、アレは別に好きちゃう、好きなものでしたら嬉しいけど好きじゃないものでしたら苦しいから絶望しちゃうんだ、でもあれだよ、好きじゃない音楽や物語でも好きになることってあることはあるやろ、だからやっぱ捨てないで置いておくのがいいよね、なんでも。捨てるとやっぱ後悔するとき来るかもしれない、きそうやろ現実問題、僕もなんか捨てたもののこと思い出して悲しくなるよ、どうゆう気持ちで廃却炉に放り込まれたんやろな、とか考えたら悲しくてならない。誰かは大切にしてくれるもんやったかもしれんのになあ、そう思うと、芽が出っ放しの里芋も腐らす前に食べないとあきまへんわな、しんどいわあ、何がしんどいって皮を向くの結構たいへんだよね、小芋たんって、どうも疲弊しきって体が、きっつい、さびしい、酒が切れてもた、酒を飲まない日は不安だなんて馬鹿言わないでちょうだい、あれやねん先に皿洗いせなならんねん、ごっつしんど、こんな日に酒があれば酒の勢いで洗えたのにって阿呆なこと打ちこんどらんではよ洗って剥いて作って食えっちゅうねんなほんま、そうだ、長い線のHEDDOFONで音楽聴きながらやりこましたらええんやわ、ええこと思いついたわ、ほな重い腰持ち上げまひょうかな、よし、今日はこれを紹介したいから、これもっかい聴きながら洗ってくるよ、じゃあまたね。



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