宇宙の森

Late Of The Pier解散してた。んなあほな。んなあほな。んなあほな。んああほな。んああほな。んなあほな。んなあほな。んなあほな。んなあほな。んなあほな。んなあほな。んああほな。んなあほな。んなあほな。んなあほな。んなあほな。んなあほな。なあほな。んなあほな。んなあほな。んなあほな。んなあほな。んなあほな。んなあほな。んなあほな。んなあほな。んなあほな。んなあほな。んなああほうな。んなあほうな。んなあほうな。んなあほうな。んなあほうな。んなあほうな。んなあほうな。んなあほうな。んなあほうな。んなあほうな。んああほうな。んなあほうな。んなあほな。んああほな。んなあほな。んなあほな。んなあほな。んああほな。んなあほな。んなあほな。んあああああああっ、とあと300回唱えても、んなあほな、という気持ちが拭えない今日であるのだがなあ。

なんでかとゆうと、やっぱりバンドって言うのは一人抜けたら一人追加してまたやったらええやんってことじゃないからね、一人抜けて解散というバンドは数多くあることだろう、それは例えば極端な話、家族一人死んだらまた一人産めばええやんかいさ、ということにはならないのと同じだよ。
だから何があったか知らないが純粋なバンドだとは思う、代わりはいくらでもいるし、と考えて一人抜けようがすぐバンドとしてなんてことなく成り立つバンドもあるかもしれないが、そうじゃないってところ、しかもデビューアルバムからは5年ものブランク、今作ってるところかもしれないが相当思い悩んでるんじゃないかな、バンドは家族と同じだよなあ、だから家族が別れてしまって、またすぐ笑える、なんてあるわけないよね。

そう思うと一つのアルバムをバンドで共同制作するってのは奇跡だね、一つの家族が家族として出会うのも奇跡だし、別々の家で生まれた人間が出会って一つのものを一緒に作るってのも奇跡だ。

Von Sparも重要なヴォーカルが抜けてメンバーが5人から3人になってるようだし、それでもガラリと雰囲気を変えてまったく新しい素晴らしいアルバムを作ってる。

音楽が本当に好きな人はわかると思うが、一つのアルバムってその中に一つの世界があるんだよね、それは小説も同じだし、絵画とか芸術作品はそうかもしれないが、だから知らなかった世界に出会えることがなんて素晴らしいだろう、その世界に入り込めるんだ、そして一緒に泣いたり笑ったり怒ったり虚脱したりいろいろ、嬉しいことだなあ、そういった喜びを味わってほしくて人はそれを創る、作りたいと思うんだ、人はそれを求める、人々が創った素晴らしい世界を求める、求めてるからこそ作りたい、そこに確かな喜びがあるから、素晴らしいものができたら自分も嬉しいし人も喜んでくれる、素晴らしい世界がその創作の中に在って、それは確かにそこに在って、存在する、作るまではどこにもなかった世界が、そこに出来上がる、その喜びを知ってしまった人って、もう表現することでしか生きられないんだよね、だから、作れないときの悲しみ苦しみってすごくよくわかる、作れたのに誰も感動してくれなかった悲しみも、ぼくも今、Broken heartなんだ。僕の書いた大切な世界がゴミ箱に捨てられた。書いてた小説の続きがなんも思い浮かばへん。

Late Of The PierのSpace And The Woodsって曲の直訳歌詞を張ろうかな、まだ国内盤買ってないから歌詞わからへんねん。ごっつい気になるわあ。意味深な歌詞やなぁ。

"宇宙の森"

自殺は私の血である
それは常にあった
しかし、それはもう、光の中で蒸発しない

そして、この世界ではない場所ではありません
心や思考の
いいえそうではありません
まあ、それは前に言われています

しかし、スペースや森はまだ私が誰だか知っている
そして、私は彼らが私に何を借りていない知っている
ではない私が何をやったか後に

私の放射線スーツを着て、離れてスリップ
私はなってきたものから実行によ

そして、この人生(自殺など)
異なる速度の多くで動作
そして、私は彼らが私に何を借りていない知っている
ではない私が何をやったか後に

月曜日の夜に遅い
私は人づてによ
紆余
ベースラインに追加します
時間について考える
私はゆっくりと踊っていたとき
とコントロールのうち

そうあなたは私について考えるものを言う私はくそ暑いよ
私は気にしないので、私は泣くつもりはない(×2)

私は何もしなかった
私は何もしなかった
しかし、彼らは何でも許す
私はあなたを停止しない方法好き
私の腕を壊す
と、チョッピング(刻む)私をチョッピング
だから私はあなたのラップトップに収まる

私は何もしなかった





直訳だけでもええ歌詞やな。こうゆう音楽をやってる子は内気で真面目な子が多い。



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