絶望の果ての楽観

フレーミング・リップスはやっぱり素晴らしい。

なんて愛情に溢れてる音楽だろう。そう感激すると、人は言う、どうせ愛情たっぷり注がれて育っただけやろ。
でも、きっとそんなだけじゃ、こんな悲しい音楽は作れない。スヌーザー2009年4月号#72に書いてたが、「絶望の果ての楽観主義」いいことを書くよね、やっぱスヌーザーは。

きっと愛情に恵まれたばかりじゃ人はこんな深い愛情は持つことができないのだろう。
愛を知った者ほど、愛の欠如、喪失、憎しみや怒りの悲しみを知る。
それは、もらった愛じゃなくて、自分の中に芽生えた愛情、自分と同じように他者を想う気持ちとか、そうゆうのが芽生えていくほど、人は苦しみと悲しみを覚えてゆくんだよね。

だからフレーミングリップスの音楽がとっても愛に溢れてる曲がある一方、とてつもなく暗く、悲しい曲があるのはそうゆうことだと想ったよ。

彼は決して悲観主義者でも楽観主義者でもないだろう、しかし、ものすごい悲しみと、それを知ってるからこその、この世の希望を決して手放さない人だ。
だからこんなにも胸を打つんだね。

amazonのザ・フレーミング・リップスのアルバム「Terror」のレビューを見て、フロントマンのウェインは今年の4月にこんなtweetをしていたようだ。

「we can't understand life if we can't understand death.
(死を理解できなければ、生命を理解できない)」
「we think pleasure is just after pain.
(痛みのあとに喜びがくるのだと思っている)」


死を理解する、それはいつできるのか、僕らにはわからない、でも今の僕はその次のコメント、痛みの後に喜びがくるんだってことは同じように感じるようになってきた。

まず、喜びが訪れるのではなくて、まず人は痛みを知るから喜びを知ることができるんだと僕も思う。

人は多くの場合、痛みを恐れ、避ける。
それはそのことに気付いてないからなんだ。

痛みを知るからこそ、その後に喜びがやってくると実感できたなら、きっと痛みや苦しみを恐れるばかりで生きていくことはなくなる。
どんな苦しみがやってきても、耐えなくては、という強さを持つことができるんじゃないだろうか。

それは、人は痛みを知らずに喜びを味わえるはずだと間違った認識に陥ってるからなんだ。だから喜びでないならば絶望に陥って抜け出せなくなってしまう。

人はきっと幸せになるために生まれてくるのだと僕は思う。
でもなんの痛みも苦しみもなく、喜びと幸福を手に入れるために生まれてきたんじゃない。
痛みや苦しみを知るってことは、誰かの痛みや苦しみや悲しみをわかることができるってことだ。

それは自分や周りの人間だけの幸福で喜びを感じるよりずっといいと思う。
絶望が悪いとは言わない、たった一人の苦しみや悲しみから抜け出せないことが悪いとは思わない。

大切なのは、どんな絶望に陥って、逃げ出した後でも、必ず戻ってこれること。
絶望の後にある大きな喜びを手にするためにまた戻ってくること。




必ず戻れると、僕は信じてるよ。

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