今日でお父さんがこの世から消えてしまって十年になる。
十年前の今日、お父さんは死んでしまった。
わたしは十年経ってもまだそれを受け入れられないでいる。
信じたくもないし、受け入れたくもないのかこの十年ずっと逃げてきたのかもしれない。
思い出すことを意識的に避けてきたけれど、夢にはよくお父さんは出てきた。
悲しい夢もあれば良い夢もあった。
この十年、わたしの喪失感と悲しみはちっとも癒えていないのかもしれない。よくわからない。
この十年、わたしの中に時間は一秒も流れていない、生きてる感覚を失ったまま生活をしてきた。
それでもいろいろ笑ったり泣いたり怒ったりしたものだ。
生きている心地がしないのに、いろいろあった。
夢の中を生きているようで、こうしてそれに向き合うことはとても苦しい。
でも、生きてる感覚は忘れてしまった気がする。
どんなふうに生きてきたか、ちょっと思い出せないな。
お父さんが死んだ十年前の今日の夜、本気で死のうという気持ちが強く湧いたが死ななくて良かったと思っている。
生きてる感覚を失っても、生きていくことは大事なのかもしれない。
誰のため自分のためと言うよりかは、何の意味もなく、生きていくことが、死ぬことよりはマシなだけかもしれない。
要は自分が何を望むかなのかもしれない。僕は自分で死ぬことを心から望まなかったので、生きてるだけ。
ただそんな気持ちがいつまで続くかは僕自身わからない。
特に生きようと頑張らずに生きてきたことは確かだよ。
特に自分を責めようとして生きてきた覚えもない。
ただ、意味もなく、生きてきたように思う。
何も感じなくなるまで、もしかしたら生きるのかもしれない。
謝りたいのかもしれない、僕はただ。お父さんに。
たくさんのこと。