エデンの血

2014年、死にたいよ。吸血鬼です!待ちに待った吸血鬼、僕らの園にもやってきたよ。

彼女は青く光る剣を振り翳すとわたしの左腕を切断した。
するとその断面から可愛い芽が顔を出し、その芽はすくすくと成長しやがて大きな樹となった。
その樹はやがて人間の掌ほどの大きさまで育つ赤い実をたくさんつけた。
最初にその実を手にとって食べたのはアダメという男であった。
そしてアダメはエヴという女に向って言った。
「ちょうわれ、これ食うてみィ?ごっつい美味いさかい、甘いし、今が食べごろやでこれ、いや、ほっんま美味いって食うてみって」
エヴはアダメに向って言った。
「ほんまかいな、でもこれ禁断の果実ちゅて言われとったんちゃうの確か、ええんかいな食うても、ええの?ほなおひとつ食うてみたろうかしら」
二人が赤い実を貪り食う様子を陰からサタンとそのゆかいな仲間達は静かに眺めていた。
赤い実はよく見ると人間の心臓の形をしていた。
エヴは赤い実を頬張るアダメに向って言った。
「われ口から血ィ滴っとんで、どないしたん」
アダメは口の周りを手の甲でぬぐうとそれを見て言った。
「うわっ、ほんまや、なんやこれ血ィやなほんま、ってことはこれ生きとんのかいな、って植物も生きてますけども、あれか、つまり肉的な生き物なんかな、これってば、匂いもそういや生ぐっさいしな」
そうしても赤い果実のあまりの美味さに手が止まらないアダメとエヴであった。
血の味と血の匂い、まさしくそれは人間の心臓を食うてるかのようであった二人はいつしかとてつもない飢えを覚えるようになった。
赤い実を食うて数分間は満腹度がものすごく気持ちも陶酔するような気持ちのよさに浸れるのだけれどもわずか数分が経つと胸を掻き毟り目に血管が浮くほどの飢えを感じるようになった。
アダメとエヴの子孫達は赤い実がそばにあれば赤い実を手にとって食うたが、赤い実が近くにない場合は同じ匂いと味のする人間の血を吸い、また殺して死肉を喰らうようになった。
赤い実のなる樹はたくさんそこらに生えていたがそれでももはや次々と増えていく人間達の食料として足りなくなっていった。
アダメとエヴの子孫達はそうして吸血鬼となっていった。
何故なら赤い実には手を出さずに善良な心持で生きている人々が血と肉に餓えた人々のちょっとした良い考えによって、吸血鬼となっていったからである。
それはどういうことかというと、もう何人殺したか覚えてもいないほど殺して死肉を喰らい続けた者がまず吸血鬼となり、吸血鬼たちはこのまま人を殺して食い続けると将来人が少なくなってしまって良くないのではないかと考え、一本の樹を倒したら一つの苗を植えるようにECOになろうという気持ちで一人の人間を殺したらその人間に自分の血を与えて吸血鬼として蘇えらしてやろうというささやかな思いやりであった。
気付くと、全員が吸血鬼となっていた。みな毎日飢えに餓えていた。
赤い実が大分足りないのである。
切り落とされた左腕から生えた赤い実のなる樹はどの樹よりも大きな樹でわたしはいつもそれに群がる小さな吸血鬼たちを眺めるのが好きだった。
サタンとそのゆかいな仲間達も黙って影からそっとその光景を眺めていた。
その時である。イーストゲートが開いた。エデンの園の東にある門である。
その門はいつでも閉じられていて未だかつて開かれたためしがなかった。
その門の前にはいつも門番の頭が水車の車より大きな顔のどでかいおっさんの頭だけが火の車となって回り続けていて、その上には交叉しながら回り続ける自動回転式の二つの大きな銀色の剣があって、到底開くことは敵わなかったのである。
その東の門が開いたことに最初に気付いたのはサタンとそのゆかいな仲間達と、それから吸血鬼のおもに年長者達数名であった。吸血鬼は不老不死であり、ある程度成熟すると年をとることがないので年の一番行くものは4529歳であった。
彼らはとてつもない速さで飛ぶとその東の門の中へと入っていった。
するとすぐさま東の門はまた静かに閉じられ、門番が前にはだかった。
入ることのできなかった多くの吸血鬼たちはそれを知って、みな口々に嘆いた。
「おいー」「なんでやねん」「んなあほな」「うどんが食いたいのにー」「神よ」「ガッデムー」
がんばってもみたのだが、わたしが赤い実のなる樹を増やす速さ以上に吸血鬼たちの人口が増えていくほうがはるかに速かった。
毎日が赤い実の取り合い奪い合い吸血鬼たちは暴力的になっていった。
何故、このような世界に、わたしは時に思った。わたしは過去の記憶を持っていなかった。
彼女が青く光る剣でわたしの左腕を切り落とした瞬間何もかも忘れてしまったようだ。
今となっては彼女という存在がなんであったのか思い出すことはできなかった。
そうしていくつもの日が落ちていくつもの日が昇った後の日にエデンの東にある門はまたもや開かれた。
今度はいっせいに吸血鬼たちが駆け込んだ。ほぼすべてがその園の中へ入ったのではないかと思われた。
吸血鬼たちは息を呑んで驚愕した。驚きのあまりある者は失禁して、ある者は脱糞した。
吸血鬼たちの目の前に広がるエデンの園の風景はあまりに美しすぎた。見るものすべてに淡く暖かい陽が降りているのを見た。
ある者は失禁すると同時に絶え間ない涙を流した。
ある一人の吸血鬼が放心状態で呟いた。
「こんなに美しい世界があったなんて」
ある一人の吸血鬼は溜め息とともに声を漏らした。
「いったい、僕らの見ていた景色はなんと暗くさびしい景色であったろう」
吸血鬼たちは口々に呟いた。
「僕らはここで暮らしたい」「やり直そう、この美しい園で」「そうだ、やり直せるはずだ、もう人間達を殺すのはやめよう」「きっと煙草と一緒で一ヶ月我慢したらもう血が欲しくはならないかもしれないしな」「そうさ、俺たち、また人間に戻って暮らそう」
そう決心した吸血鬼たちはみな断固として一月の間、耐えに耐えて人間を殺すことはなかった。
しかしひと月経ったころから体内のすべての血が沸騰し煮えたぎっているかのような凄絶な苦しみと渇望から、吸血鬼たちは人間達を殺して血を吸い、死肉を喰らい始めた。
半月ほど経ったころ、人間達の数は半分以下にまで減り、代わりに吸血鬼となって増え始めた。
そしてどんどん人間達が殺されていき、三分の一までに減った頃である。
その時、天から声が轟くように響き渡った。
「これまでです。血をこれ以上流さないように。新しい星があなた方の頭上に昇る。今日からこの星があなた方の母のようにこの園のすべてを見守りつづけるであろう」
そう声が鳴り止んだ瞬間であった、エデンの東の空に見たこともない眩しく目を開けて見る事すらできないほどの光り輝く星が現れ、すべてに光は隈なく注がれた。
その瞬間に、吸血鬼たちすべての者の絶叫が鳴り響いた。
吸血鬼たちは皆、「ヴァンパ・イヤー!」と叫ぶと一瞬にして塵と化してしまった。
しかしサタンとそのゆかいな仲間達に素早くかくまわれた幾人かの吸血鬼たちは無事であった。
サタンとそのゆかいな仲間達は生き残った吸血鬼たちを森の奥の地下の館にある棺の中に寝かせた。
エデンの美しい東の園は灰色の塵が舞い続け、このままではみな喘息になってしまうので人間達は「めんどくさいなー」と言いながら箒と塵取りを持ってきて塵を集め、鋼鉄の箱の中に入れて、もし蘇えると良くないので鍵を閉め、「もうこれ以上掘るのはちょっとしんどいわー」というほどの地下深くまで掘り、その土中に埋めた。

生き残った吸血鬼たちは夜には目覚めて町に出かけ、そっと人間達の血を吸い、または殺して死肉を喰らった。
一人の吸血鬼が吸血鬼たちは滅んだと和やかに暮らす人間達を眺めながら言った。
「彼らは何故人間で、私達は何故吸血鬼であらねばならないのだろうか」

苦しむ吸血鬼たちを静かに見守るサタンは少しうつむいて自分の左手に目をやると森の奥のほうまで飛び去っていった。
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