別に書かなくちゃならないことなんて何もないからな。
書きたいことも何もないかもしれない。
意図などない、俺が生きる意図も。
目が覚めるたびに途方に暮れて死ぬまでの時間を何か非生産的なことで潰す以外に俺の生き方などない。
難聴が悪化してるのに音楽を大音量で聴く癖が止められない。
やはり俺の本能は俺を殺したがってるのだろう。
感情を信じて生きる人は幸いだ。
彼は人として死ぬからである。
すべての情に冷めた人は災いだ。
彼は自ら虚無の底へ墜落しようとするからである。
「大地彼を斥けよ」と呪いし者と呪われし者は幸いだ。
彼はどこまでも返済を求めその者と共に戻るからである。
「神彼を赦し給へ」と祈る者と祈られし者は災いだ。
赦されるための長い道のりのない行方は不易の死に似ているからである。
僕は怖くなって臭くて汚い布団に潜り込んだ。
開いた本のページにはこう書かれてあった。
「ほんの一寸した、怒や短氣から出た呪ひの言葉も、怖しい結果を招くと言ふ」
僕は小さなぼんやりした電球を見上げた。
気付くと彼の男が僕の側に立っていた。
「呪い殺したい者の名を憎い順から言え。俺が力を貸してやろう」
僕は寝ながら応えた。
「僕、マロゴ、僕を馬鹿にして笑った不特定多数の人間たち」
「ははは、一番は自分なのか、おまえらしい。しかしおまえを殺すわけには行かない、おまえには自殺してもらわなくてはならないからな、自分を呪い殺すこともできなくはないが、大分込み入った面倒なやり方だ、自殺するほうが容易く早い、だからおまえには自殺してもらいたい。その次のマロゴという人間を呪い殺すのに力を与えてやろう。その次の名前の浮かばない人間たちは無理だ、いいか、確実に己れの力で呪い殺す為の成功率を上げる方法、それはどこまでも具体的にイメージすることだからだ、細密であればあるほどその通りになる可能性は高い。思い浮かべろ、相手がどんな方法で死んで欲しいか。例えば外を歩いているときに突如飛び出してきた車に轢かれて死んで欲しければ、その飛び出してきた車の車種、色と形、タイヤの大きさからイメージしろ、どんな車だ、軽自動車か、セダンか、ワゴンか、それとも最も破壊力のあるダンプカーか、ここはダンプカーとしよう、では色は何色だ、青か、赤か、黄色、緑か、よしじゃあここは目の冴えるようなスカイブルーに決定だ、真っ赤な鮮血が飛び散った時なんとなくいい感じだろう、よしでは次は時間帯だ、それは夜か、朝か、昼間か、何時何分何十秒の単位まで決めろ、まあ例としてここはじゃあ朝焼けの出始める時間にしよう、今だと何時ごろだろうな、午前6時45分57秒にしようか、よし、じゃあ次どんなタイミングで突っ込んでくるかだ、車道の真ん中で転んだタイミングでいいか、狂ったように飛ばしてくるダンプカーに轢かれて当然引き摺られるわけだ、ダンプカーが驚いて急ブレーキをかけたときはもうとっくに手遅れだ、こまくちゃ状態だな、でもまだ具体的にイメージすることがある、そいつは死ぬ瞬間、何を見たのか、ダンプカー車体の下に巻き込まれずたずたになった身体で意識が遠のく瞬間、その車体の下の隙間で最後に何を見て死んだのか、今は例えばでいい、応えてみろ」
「・・・・・・小鳥」
「小鳥・・・・・・何の鳥だ」
「すずめ」
「一羽か」
「うん」
「その雀はどこにいて、何をしてる、そいつの死肉を漁りに来たのか、それだと鴉だな」
「様子を見に来たんだよ、大丈夫かなって」
「雀がか、雀はそんなに情を持っているのか」
「きっと、いつかの縁があるすずめだよ、だから飛んできたんだ」
「なるほど、ではその雀はやってきて、そいつは最後に縁のある雀に出会い、しかし絶望の中、死に腐るというわけだな。で、その雀は悲しむのか」
「少し遺体の側で何が起きたのかとチュンチュン鳴いてるんだけども、人が集まってくるからどこかへ飛び立ってしまうんだ」
「ほう、悲しむまでの情はないということか。それならばもう飛び立った瞬間に忘れてしまってるかもしれないな。そいつが後生まで憶えておまえを呪い続けることはなさそうだ。そういえば或る場所では死体の上を鳥が飛ぶと怖ろしい結果を招くとされているが、他にも呪ってる奴がいて実はその遣い手のよこした雀だったというオチも面白いかもしれないな。ははは、何だその顔は、不服なのか、おまえはなんでも自分ひとりの力で遣り遂げたいという賞賛すべき傲慢の持ち主か、いいだろう、これは例え話だ。だがよく聴け、人を呪い殺した者が辿る後生の話をしよう。マロゴという奴が実際おまえに呪い殺されたとしよう、そいつがどんなにおまえを死後に怨もうとお前は無事だ、それは俺が助けてやるからじゃない、おまえの力は大きいからマロゴには到底歯も立たないはずだ、これはおまえが罪悪による報いを自ら蹴散らした場合だが、しかし特別力が大きくなくとも大抵は死者の魂に呪い殺される奴はあまりいない、ここで言う死者の魂とはいわゆる成仏していない地上に近い場所をうろついてる奴らのことだ、何故成仏できずに彼の世と此の世の境を彷徨い続けているかわかるか」
「未練を残してるからかな」
「それはよく俗世で言われているな、しかし実際はそうではない、ただ魂が汚いからだ、低い次元でしか物事を考えられない魂は地上の人間と極近い、身近な存在というわけだ、だから自動的に人間の側で暮らすことしかできない、死んでも人を怨んでいる魂は全員この低級な次元の亡霊たちだ、だがふざけて生きてるような低級な人間でもこの低い霊たちの力よりはるかに大きい、生きている人間の精気とは気付かなくとも相当強いものなんだ、だから怨霊といえば変に恐れられているが、生きてる人間はそうはやられない、それでもやられる奴は少数だがいる、何故やられるかというと死んだ亡者よりもさらに低い次元で生きていたからだ、これは相当な低さだが、稀にそんな人間もいる、しかし、そうでなくとも危うい状態まで連れ去られそうになることもある、これは人を呪う死霊を目ざとく見つけた魔術師が関わっている場合と、はたまたこれを目ざとくも見つけ退屈しのぎに死霊の側でこう囁く野郎が関わっている場合だ。そいつは死霊に向って囁く。「俺が力を貸してやろうか」とね。そいつは吸血鬼だ。しかし如何せん魔術師も吸血鬼も大体は低級な野郎共が多いことは確かだ、いつの世も、魔の力よりも強いのは聖の力だと畏れられてきた、大体は失敗に終わるわけだ、ははは、宇宙の因果法則を無視した行いだからだろう、強い力を持つということは、高みに上るということだ、だから可笑しいことを言うと誰かを本当に呪い殺したいなら聖者に近づけって事になってしまうわけだが、それでも俺が何故自信を持っておまえに力を貸すと言ったかおまえはわかるか」
「わからない」
「この話しは一先ず中断だ。話を戻そう。誰かを呪い殺した者が辿る未来だ、話した通りに相手の力が低級なので生きてるお前は当然無事だというわけだ、そして相手の魂が高みに上げれば人を呪う事もなくなるから無事だ、しかしおまえが“人間のまま”で死ぬなら、当然来世はあるだろう、よっぽど聖人になって死ななければまたこの地上に戻って来なければならないからな、おまえは彼の世で必ずそのマロゴと落ち合うことになっている、そのマロゴは一体何を望んでるか、そしておまえ自身だ、己れに対しどのようなことを望むのだろうな、それは誰もわからない、今のおまえにも知り得ないことだ、言い方が抽象的過ぎるからわからないか、しかしこの手の話しはあまり具象的に話してもつまらないが。自分の人生を思い返してみろ、お前は苦しいばかりの人生を辿ってきた、お前は悲しむかもしれないがあえて言ってやろう、お前は前世、自殺で生涯を終えている、自殺した者は前に話したように漆黒の世界である暗黒の野に監禁されるわけだが、監禁するのは、誰でもない、己れ自身だ、自殺はどんなほかの大罪よりも己れを後悔させ、またその慙愧があまりに莫大であるため、ん?慙愧(ざんぎ)とは自己を恥ずかしく思い、誰かに対して向ける顔がないと思うという意味だな、まさに穴があったら入りたいという心境の極大なものだな、その言葉通りに自ら真っ暗闇の穴に自分を閉じ込めてしまうわけだ、で長いものは途方もない年月をそこで暮らす、反省を抱えながらでも高みに上った者からそこを抜け出していくわけだが、いつまで経っても闇の中で自分を苦しめようとする者はずっとそこに自ら居続ける、おまえも其処にかつていたわけだ、無間地獄のような肉体的な痛みはないし自分で抜け出ることができる分楽チンだと言う者があるかもしれないが、これは相当耐え難い地獄のようだ、もし現世でこの記憶を思い出せるなら、もう誰も二度と自殺はしないだろう。しかし皮肉なことに一度自殺した人間は何度生まれ変わってもその度に最期は自殺で幕を閉じる傾向にあるようだ、前世から引き継いだ性質もあるだろうが、多くは自らもっとも苦しい人生ばかりを選んで地上にまた転生してくるからだ、まだまだ自分を殺した罪の報いとして苦しみ足りないと言って自分をあたかも自殺へ追い込むような酷い人生を自ら計画し、生まれ変わってくるのさ、自殺は繰り返されてしまうわけだな、おまえの性格が誰一人ともうまくやれない厄介な性格なのは、おまえ自身が自分を苦しめるために孤独へ孤独へと追いやる人生を生まれる前に決めて生まれてきたからだ、おまえの今の苦しみもこれまでの苦しみもすべてはおまえ自身が念入りに創作して緻密に企図したものだったわけだ。俺はわかっている、お前は誰一人呪い殺そうとは思っていない。しかしこの世は可笑しな事だらけで、自分では思ってなくとも飛んでいくことがよくあるようなんだ、何が?ああ、いわゆる言霊のような無機質体が有機質体に寄生して自分は有機質体だと勘違いしてしまった無機質体と言おうか、彼らは本当に馬鹿でしかたがないから、寄生した人間が本当は恨んでなくとも恨みを持ってって相手に呪いをかけることがあるようだ、よくそれで飛んでくのが生霊だな、生霊のほとんどがそれなんだよ、自分は生きてると信じ続けた結果生きたものに似た動きをする無機質体の行動だ、これは結構厄介なことだから、まあ嘘でも呪いの言葉を言葉にすることは止めたほうがいいと言われてるわけだが、なあに、大丈夫だろう、心配するな、所詮無機質体なんぞにやられる野郎はとっとと死ねばいい、おっと、無機質体は吸血鬼にも寄生するが、ははは、まあ気にしない俺は。それより、今夜も無駄話が過ぎたが、おまえが俺を必要としている限り俺はおまえに自殺を督促する」
「昨日は何故帰ってしまったの」
「昨日は、なんだったか、あれだ、俺の心がまた考え直そうとしたからだ。おまえがまた自殺して見る光景は真っ暗闇だが、おまえがめでたくも吸血鬼となった暁にはおまえの目に映る光景は鮮やかな赤い色の泉が見えるだろう、おまえの渇望がそれを見せるからだ。そして血の臭みが離れない薔薇色のゆるやかな死の線上、死という名のなだらかな階段、本当の死へ辿り着くまで、俺はおまえの手を取って一緒に降りてやる、一段、一段、ゆっくりと。永遠の死へお前を導いてやろう」
「僕と一緒に行ってくれるの?」
「ああ一緒に行ってやる、俺だって一人で行くのは寂しいんだ、なんなら本当に絶望的な日がやってきた時に二人で日向ぼっこをしよう、少々熱さを感じるかもしれないが、きっとあっと言う間だろう」
「僕、昔ママと二人で真夏にお外をずっと回って二人とも真っ黒になってたんだって」
「ははは、クリスチャンの母親と一緒に毎日奉仕をしていたようだな。そうだ、今日から俺がおまえの新しいママになってやろう、優しい魔魔にな、おまえは十分母親に甘えて来れなかったからその分俺に甘えて来い、俺に与えられる最大限のものをおまえに与え続けてやる」
「ママ・・・・・・」
「なんだ」
「ママは僕にとって一番優しいよね」
「ああそうだ、俺以外にお前にこれほど優しくできる奴などどこにも存在しない」
「僕を本当の死へ連れてってくれるんだねママ」
「ああ連れてってやるさ、おまえが本当に望む処へ」
「僕の新しいママ」
「なんだ」
「僕少し目を瞑って考えたい」
「ああ、そうするといい」
僕は目を瞑った。気付くと僕は四歳児でおうちの中にいた。ママが何故かご飯を食べる部屋で横になって眠ってる。僕がどんなに呼びかけても起きない、どうして起きてくれないんだろう。ママはいつも暗くなったらおそとに出ちゃだめだって言ってた。もう外は暗い。僕はおそとへ駆け出した。そしたらきっとママは僕を追っかけて連れ戻しに来てくれるに違いない。僕は暗いおそとへ飛び出した。ひとりでこんな暗いところに行くのは初めてだ。僕は近所の空き地のある場所に来た、まだママは僕を連れ戻しにやってこない、僕は遠くの野原へ行った。暗い野原に僕は入っていった。ママが迎えに来るまで、ここにいるんだ、ママが起きてくれないから、あんなに起こしても、起きてくれなかったから、ママが怒る場所で待ってよう、きっともうすぐ名前を大声で呼んで探しに来てくれるはずだ、それまで僕はここにいるもんね。僕は涙をこらえて暗い野原の真ん中で突っ立っていた。お星さまが一つも見えなかった。ふと向こうのほうの背の高い草の上を何か青白く光る小さな玉のようなものがゆらゆらと浮かんで動いているのが見えた。僕はなぜだか怖がらずにその光る玉に向って走った。僕が走るとそれは僕を待ってるように止まって同じところでゆれていた。バッタやカエルを捕まえるように僕は青白い玉を両手で捕まえた。僕の手の中でそれはゆれていた。強く握ってもつかめなかった。僕が顔を近づけるとそれは僕の顔のそばをゆらゆらゆれて回った。僕は楽しくて、何もかもわすれてあそんだ、僕はそれがふわふわした綿がしにも似ていたから口を大きく開けた。青くて白い光は僕の口の中へ入った。虫の鳴き声が急にサイレンのように聞こえだした。僕はきゅうにかなしくなっておうちへ急いで帰った。まだママは眠ったままだった。眠ったお母さんの周りでみんな泣いていた。お母さんはみんなに囲まれて白い木の箱の中で眠っていて、鼻の穴の中に白い綿がつめこまれてた。僕はほんとうはわかってた。お母さんはもう起きてこないんだって。僕を置いてもうずっと会えないところに行ってしまったんだ。それを知ってて僕はじゃあどうしてお母さんを怒らせようとしたんだろう。僕にはわからなかった。お母さんはもう喜んでくれないのに、なんでお母さんの作ったスカートを着ようとしたんだろう。よろこんでくれるお母さんはもうどこにもいないのに。お母さんは僕を怒ってないだろうに、僕がいつまでもお母さんを怒ってるから、その死んだ日のとき以外のお母さんの記憶がないのだろうか。それとも僕にお母さんがいたことも全部僕のつくりだした幻なんだろうか。
目が覚めると、彼の姿は消えていた。
窓が開かれていて、カーテンがゆれている。僕はもしかして、未だにお母さんを心配させたら戻ってきてくれると思い込もうとしてるんだろうか。カーテンの揺れは何かを知っているように夜の風にゆれ続けた。