「何を見てる」
「どこにもない星」
「とっくの昔に死んぢまった星サァ」
「きっとどこにもいない死んだ星だからこんなに美しい」
少年はそういって真っ暗闇の夜空をずっと見上げていた。
目に見えるからってそこに在るとは限らないのに
なんだって僕らは目に見える大事なものは見えるときだけそこに在るんだと思ってるんだろう。
酒を入れなきゃ頭が普通の速度で回転してくれない。
今午前4時15分彼は来るだろうか。
僕は悲しくなって臭くて汚い布団に潜り込んだ。
冷凍浅蜊がばらばらに割れていくつかは死んでいたのを思い僕は淡い電球を見つめた。
気付くと彼は僕の傍に立っていた。
「もうその浅蜊は買うな、いいな」
「貝にも内蔵があるんだね、人間とよく似てる」
「動く生き物はどれも似ているさ」
「僕菜食人間に戻りたい」
「知っている、菜食と人肉食、偉い違いだな」
「やっぱり僕は無理かもしれない」
「なに、直に慣れるさ」
「何故人を食べてまで生きていくの、僕ならきっと吸血鬼になってもその次の日には太陽に当たって永遠の死を選ぶだろう」
「皆、最初はそう言う、人を喰ってまで生きたくはないと、しかしいざ太陽の下に出ようとすると己れの全部がそれを拒み一足も前には出ない、永遠の消滅は人肉を喰って生きるより恐ろしいことのようだ」
「僕が人を食べるなんて、人を殺すなんて、過去の僕は人を殺したんだろうか」
「前世に人を殺した人間は多い、今生きてる人間のおよそ半数は人殺しだ、しかしその罪に苦しみ続ける者は少ない」
「僕はすべてが怖い、もうなにもかも、僕が観るとそれは苦痛になる、災いだ、僕のすべてが災い」
「面白い話をしてやろう。或る小さな村に住んでいた変わり者の話だ。その男は一見普通の男でしかなかったが、変わっている所があった。その男は他者の苦しみに変に敏感で、それは相手が人の場合だけじゃなく動物の痛みにも同じくセンシティヴで誰か全く知らない人でも苦しんでいる様子を見かけるとそれはそれは苦しみ事情は良くわからなくとも共に泣くんだ。それは村の人々からは尋常とは思えないほどだった。小さな野鼠が通り道に死んでいるのを見つけただけでそこにへたり込んでおいおいと泣き続けるわけだ。村人たちはだんだん奇妙に思い始めてその男を避けるようにまでなった。しかし男にとってはそんなことはどうでもよく、ただただ誰かが悲しんでいると無性に悲しくやるかたない思いで胸を掻き毟り泣いていた。するとその村には珍しいちょっとした不作の年がやってきた。今まではなかったことなので皆がみんな大袈裟に嘆きだした。男は母親と二人暮らしであったが、その一番身近な母親も多いに嘆き夜な夜な男の前で泣き言を言い始めた。『きっとこの村はもう終わりさ、来年はもっと酷い不作になることだろう、ああ神よ、いったい私たちが何をしたというのでしょう、身に覚えはないのです、はあ、こんなに不安で夜もぐっすり眠れないならもういっそ死んじまいたいよ、あたしゃ』母親を一番に愛する息子である男はそんな母親の大いなる悲嘆に傍で言葉にもならない思いでおいおい泣くことしかできなかった。そして或る朝、男は母親がこれ以上苦しむことに耐えられなくなり、自分の手で母親の喉元を斧で叩きつけ殺してしまう。男は母親がいなくなってしまったことで悲しんだが、しかし男の中に罪悪という概念はなかった。己の力で母親を救うことができたという喜びがその代わりあった。男はそれからというもの、村の中で哀しみ嘆いている者を見つけるとすぐさま斧を持ってきて首に叩きつけて殺すようになった。犯人を突き止めることがなかなかできない村人たちは悪魔の所業だと騒ぎ立て日毎夜毎悪魔祓いに精を出した。ここで笑ってしまうのが、その悪魔祓いの儀式に使われた生贄が村人だったという。しかし男はそれに至ってはアパティア、知らん顔でただただ苦しんでる人を見つけては殺すことをやめなかった。村の多くの人間達は愚かでいつもほんのちょっとしたことで嘆いては悲しい顔をしていたのでとうとう村人の3分の2ほどは男に惨殺されてしまった。ここでようやく、男が殺していたのだとわかり、残った村人たち全員で家に押しかけ男の身体を縛り上げるとその夜のうちに男は皆から悪魔だと罵られ、生きたまま火刑に処せられてしまった。男は村の誰より村人全員と、そこに住む家畜や小さな動物たちまでの幸せをいつも祈り望んでいた、なのにそんな悲劇となって最後には全員から呪われて死んだ。聖書に“我らは血肉と戰ふにあらず、政治・權威、この世の暗黒を掌どるもの、天の處にある惡の靈と戰ふなり”という言葉があるが、ではこの男が闘う悪とは、どこにあるのかと考える。おまえはどう思う」
「わからない、そもそも悪とは闘う相手なのだろうか」
「闘うというとどうしても聖と悪が争い合う光景に思えるだろう、争うということがおまえの理性に反するようだな。俺が言いたいのは、おまえが恐れているものは悪でもなく、虚無でもない、おまえの恐れは、理由もわからずに処刑された男の悲しみときっと同じようなものだろう」
「もうすぐ夜が明けてしまう。僕は少し目を瞑って考えたい」
「ああ、そうしてくれ」
僕は目を瞑った。気付くと僕は霧深い森の奥にいた。黒い樹はみな焼け焦げたように黒く懐かしい灰のにおいがした。何かを思うたびに黒い樹は枝を落としていく、音もなく、とても静かに。悲しいことが悲しいことに思えなかった。誰もが死んでゆく。誰もがそうして、死んでゆく。この遠くの見えない霧の中に生えた誰も知らない樹のように。誰もが罪のない罪を抱いて。
目が覚めると彼はどこにもいなかった。
窓は開け放たれている。もうすぐ夜が明けると信じて待つ人が残酷な夢を見たあと目覚める。悲しい夢を見て、夜が明けることを認めずに朝の光を向かえる。