「いい加減目覚めたらどうだ。おまえが俺の方に来るのを拒んでいる以上その悪夢から覚めることもないぞ」
「ママ、暗くて寂しいよ、どこにいたの」
「俺はずっと此処に居るつもりだがおまえは何処にいっていた。それを選んだのはおまえだ」
「苦しくてたまらないんだよママ、怖いんだ」
「おまえがそれを求めている以上それはどうしようもないことだ」
「僕はどうしたらいいの、どうやって生きていけばいいのママ」
「おまえは苦しんで生きていけばいいんだ、それがおまえの望んでいることだと強く実感することだ」
「僕は苦しみたいけど苦しいのはつらい、楽になるのは嫌だけど楽を求めている自分がいる、何故なのママ、どうしてこんなに矛盾していて苦しいの」
「矛盾という苦しみをおまえが自ら与えたからだ、おまえはどうしたって自分を受け入れることはできないようにおまえが望み続けているからだ。しかし一瞬の楽を欲しいなら思い描いてみろ、その苦しみと矛盾を良くないものとするのは誰だ、何処にその答はある、どこにもないはずだ、おまえが思いこんでいるに過ぎない、おまえがそう思いこみ苦しいのは自分を苦しめるためだ、おまえが自分を憎み続けているからだ、しかしそのようなおまえの苦痛の連続の人生を用意した本当のおまえはおまえを憎んでなどいない、おまえを愛しんでいるからこそ苦悩ばかりの人生をおまえに与えているんだ。イメージしてみるといい。おまえの中に天秤が二つある、一つは苦しみと楽を量る天秤だ、もう一つは矛盾と整合を量る天秤、重さを量ってみろ、どちらが重く沈みその価値が重いか」
「苦しみと矛盾の秤のほうが重く沈んだ」
「良い子だ、おまえの望みに従順な秤だ、おまえにとって苦しみは楽より価値が大きく、整合よりも矛盾に価値を置いているわけだ、どうだ、ほんの少し心が楽になっただろう」
「胸の圧迫がどこかにいったママ」
「ははは、人間は複雑でもあり、また単純でもある。人間とはそもそも矛盾の塊なんだ。おまえのその楽はしかし一瞬で終わる、おまえが楽よりも苦しみを重んじているからだ。しかしおまえは誰にも何にも反していない、今のおまえの状態が他のどんな状態よりも良いことがわかるだろう、苦しむ必要のないことにおまえは苦しみ続ける必要があるというわけだ。おまえが消えてしまいたいと思うほど苦しむのもそういう成り立ちだ。そしておまえはおまえに本当の死を与えてやれる俺という存在を生み出したわけだ」
「僕がママを産んだの?」
「そうだ、お前の中から俺は生まれてきたんだ」
「そしてママは僕の死を産んでくれるんだよね」
「ああ、そうだ、なのにどうだ、おまえは俺の胎内に入ったきり一向に出てこない、おまえが死を拒んでいるからだ」
「ママのお腹の中さっきまで冷たかったのに今はあったかいよ、ずっとここにいたいママ」
「おまえのイメージがそうさせたんだろう、おまえにとって死はおまえを何よりあたたかい腕で抱く母親、今おまえはその死を内包する俺の腹の中で指をくわえて丸まっている胎児だ、しかしおまえは俺の腹の中から死と共に出てくることを否定している、ここでも矛盾というおまえの望むあり方があるわけだ」
「僕が生まれようと思ったらいつでも産んでくれるの?」
「勿論だ、俺はそれを待っているんだ」
「僕が生まれたらママは嬉しいの?」
「嬉しいに決まっている、おまえは俺にとって何よりあたたかい嬰児、この暗い心の部屋に優しい陽が射し込むことだろう」
「僕がその部屋の片隅で泣いていてもママは嬉しいの?」
「おまえは泣くために生まれてきたからだ、俺が悲しむわけがない」
「ぼくはきっとずっとずっと泣いてるだろう、本当の死がやってくる日まで」
「おまえが求めたとおりになること、これほど喜ばしいことなどない」
「でも僕はここから出るのが怖いよママ」
「その恐れをおまえが欲しがるからだ」
「僕は僕の死と一緒にママのお腹の中で震えている、僕の死はどこにあるのママ」
「おまえの中だ、俺の腹の中におまえが入り込んだことでおまえの中に眠っていた死が目を覚まそうとしている」
「じゃあママが僕を抱いていて僕が僕の死を抱いているんだね」
「ああそうだ、今おまえの死はおまえの中で眠っている」
「最近お腹の辺りがよく鼓動を打つのはそれでなのかな」
「そうかもしれないな」
「元気な死だな、僕の良い子、僕の死」
「おまえは本当は何を望んでいる」
「え?ママ何か言った?」
「なんでもない空耳だろう」
「僕の赤ちゃん、僕の可愛い可愛い赤ちゃん、元気で嬉しいな」
「俺も嬉しいよ」