http://www.youtube.com/watch?v=BosZxa1bYcE#t=89
見てるときはそうでもなかったのが見終わってなかなか強烈な吐き気がおさまらない。
そこにはものすごい嫌悪があるし、苦しいからできれば違うことを考えたい、なのにこの佐川さんが愛おしいのか、愛したいのか、嫌悪と愛おしさが同じところにあるから胸の奥が捻じれてこんがらがる、そんなことほど激しく困惑することほど大事なことなんだと思う、大事なことなんだ、嫌悪に偏るばかりでもなく愛おしさだけに偏ることでもない、この人はとても大事なことを抱えて生きてる、今まではなんだか気持ち悪い怖いこととしてしか僕の中になかったことに対して、深く向き合おうと思えたことは僕にとって大事なことだと気付けたことは喜びなんだろう、書いてる今でも嫌悪感すごいけれども、吐き気がするのに佐川さんと名前を呼ぶのも嫌悪があるのに彼を見たい、彼の中に在る狂気ではなく、彼の中に存在しているすべてという正気を見たい、僕が観たいのは狂気ではなく、狂気という仮面を被っている正気だ、理性を超えた正気だよ佐川さん、吐き気をもよおす正気、せいきだよ、正しい気が狂った気を纏う、ほら嫌な吐き気のあとに無垢な赤ん坊が生まれてくるように、狂生ってわけだな、できればもう観たくない、しばし忘れたい、不快さが下痢の痛みのように引いては押し寄せる、動画の最後に、彼は「死だけが希望」だと泣くのをこらえて言った。それはまるで彼の苦しみが僕ら全員のこの嫌悪のための犠牲になってるみたいだ、僕らのこの嫌悪感を彼らの絶望以外の何が救うだろう、吐き気のあとに生み出すものはなんだ?
愛すべき佐川一政。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E5%B7%9D%E4%B8%80%E6%94%BF
動画は「Interview with a Cannibal」というものです。