塵と水

面白いなぁと思う、苦しいことほど。
ここでゆう苦しいこととは肉体的な苦しみではなく、精神的な苦しみにおいての話ね。
で、精神的な苦しみにおいて生命を断った人がおると言いたいか知らん、俺は死んで終わりと思ってないねん。
続き続ける、俺直感でわかる。
この世は続き続ける。
意識やな、我の意識。
肉体的な苦しみはどうしても苦しいばかりなんだけれども。
精神の苦しみが俺に喜びを与える。
人々の精神の苦しみ、それが俺に希望を与える。
俺のこともそう、俺の苦しみと孤独と悲しみとか、そうゆうもんだけが俺に希望を下す。
頭蓋の中心脳髄破裂寸前の衝撃!記憶を淘汰か?!しかしそれでも全身で欲する真髄!
だから俺なんて苦しんでなんぼの存在。
みんなから責められ嘲られ疎んじられ蔑まれ怒られ見下され笑われ疎外され疲れ果て燃える塵の如く生きる。
それが俺の生き方在り方死に方暮らし方、みんなのおかげ、御蔭御陰、陰はまぁじめじめでも蛞蝓なんかは陰が好き俺も好きじめぇっとした場所落ち着くのよほんとよ水気もいい感じにあるねぇ俺水が好き、人様って水を有り難かったり水気を嫌がったり我がままねぇ俺は水好き、俺の潤える、俺、滝が好き、あの激しい水の怒涛、眺めていたい、脳裏に思い描くだけでうっとりする、そして激しい渓流のうねり、ぐっとくる、でも俺はそこに入らない、眺めていたい、客観視のような、距離を置いて、ずっと眺めてたい、激しいほど狂おしい、激しさを俺に俺が与えてる、俺が愛してる。
水みたいななぁ、感じかも知れん、人も。
水って特に、なんも、ないやろ?ゆうたら、それ水ですっていう人間のキメ付けしかない。
でも水ってすごいいろいろ化けるよね。
机の上の一滴の小さな水滴も、だだっぴろい海の水も、同じ水やし、人間に大きいも小さいも人間の阿呆な決めつけなんやろな。
だから水に触れることが僕は好き。
だからなんか枯れる喜び知っちゃったの。
どこまでも枯れたい。
どこまでも渇きたい。
どこまでも欲したい。
あなたという水を。
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